台湾あれこれ
1-ジプリと台湾
台湾人はジブリが大好き。
そんな話を聞いたことがあった。「千と千尋の神隠し」の屋台街は台北の九份(きゅうふん)がモデルだというし、そんなご縁もあってなのか。
けれど、台湾の街角からジブリの曲が流れてきたりすると、好き、と言うより台湾に似合いすぎて、そこからジブリが誕生した気さえしてくる。
ある日、友人ヤンと共に5日間の台湾縦断の旅をした。台北~台中~台南への強行軍だ。
旅の目的は三つ。一つ目は台中の「日月潭」(にちげつたん)に行くこと。この湖はかつて欧州の地図に「カンディディウス湖」と書かれたこともある湖である。ならば行かないわけにはいかない。
二つ目は台南安平の安平古堡(あんぴんこほ)に行くこと。17世紀のオランダ占領時代に城塞(ゼーランディア城)が築かれた場所だ。カンディディウス・サラ夫妻が滞在したこともある所である。
そして三つ目は夫妻が生活した新港(しんかん)市に行き、二人の生きた痕跡を探すこと。あわよくばサラが葬られたオランダ墓地を辿れないものかという野心もあった。
・台中、日月潭
さて、旅の二日目、台中でのこと。
「日月潭」に行くには台北市からは結構な時間がかかる。まず台湾新幹線で「台北」駅を出発し南下。一時間弱で「台中」駅に着き、そこから日月潭行きのバスで二時間。郊外を抜け、山の奥へ奥へと入る形でようやく辿り着くのが日月潭である。
途中、車窓から国道の標識をなんとはなしに眺めていると「霧社(むしゃ)」という地名が目に入った。ーえっ、ここが霧社!?― 驚いた。霧社事件の霧社ではないか。昔、映画『セデック・バレ』に衝撃を受けたが、その舞台が車窓から通り過ぎていく。セデック・バレ・・1930年、日本統治下の台湾で起きた先住民(セデック族)による激しい抗日暴動を描いた映画である。日本人には辛いが見るべき映画の一つだ。暴動を描きながらその事象を超え、人間とは?人間の尊厳とは?を浮き彫りにする優れた映画だった。
・・それはともかく。
私とヤンは終点「日月潭」で降り、目の前に広がる湖を見渡した。台湾一大きな湖。日月潭は一大観光地であった。その広い広い湖の周りにはサイクリングロードが完備され、湖畔には観光客向けの店が立ち並び、三蔵法師の遺骨の祀られた「玄奘寺」もあれば、「九族文化村」という台湾先住民の暮らしや文化を再現したテーマバークもある。こんな急ぎ足じゃなく、のんびりゆったりと時を過ごしたい場所である。
私たちは遊覧船で対岸に渡ることにした。対岸にはロープウェーがあって湖の全体を眺望できるというし、ロープウェーの先には「九族文化村」がある。
対岸に辿り着いた時だった。どこからともなくジブリの曲♪・・。「いつも何度でも」のオルゴール曲が流れてきた。私たちはその音の鳴る方へと誘われた。
すると湖畔を望む広いデッキをステージに、可愛らしい青年が大道芸の準備をしている。そのプロローグがジブリの曲だった。 孫悟空のような衣装は三蔵法師にちなんでなのかしら?いくつかの芸のあと、青年は巨大な銀骨のキューブを取り出し、それを高々と持ち上げ、ぶんぶん頭上で回転させ、アニメのような不思議な世界を披露してくれた。そしてエピロークは再び「いつも何度でも」♪
・台南、安平
翌日、われら強行軍は台南の地に立っていた。
安平(あんぴん)は現代的な地方都市である。
宿のオーナー父娘は日本語が達者だった。安平古堡に行くと言うと、「買い物があるし、途中まで案内しましょう」と娘さん。聞けば「札幌の日本語学校に一年半通いました」と言う。素敵な笑顔で「また日本に行きたいです!」と言ってくれた。
安平古堡はかつてオランダがゼーランディア城を築き、台南統治と貿易の中枢とした場所だ。日本からバタヴィア(インドネシア)へ渡る商船の中継港として栄えた。が、1661年、鄭成功(ていせいこう)率いる明軍が、まずプロビンシア城(赤嵌楼)を武力制圧した後、翌年、このゼーランディア城を陥落。その後、清朝が、19世紀には日本が統治した。旧城の中心に記念館と展望台が建てられている。17世紀当時の城壁もまだ部分的には残っており、見ごたえのある城跡であった。
ところで、鄭成功は長崎県平戸生まれの日中混血児である。まれに歌舞伎座等で近松の「国姓爺合戦」が演じられることもあるがこの国姓爺(こくせんや)とは鄭成功のことであり、彼が台南を制圧して以来多くの漢人を入植させたので、現在台湾のほとんどが漢民族となった。台湾の漢人にとって「民族英雄」はこの鄭成功であり、台湾のどこに行っても、「国姓」「成功」の地名、学校名が多いし、特にこの台南は「鄭成功廟」や彫像が目に付く。廟は台湾で繁栄した鄭成功の子孫らが建立したのだという。
この鄭成功をあまり日本人は知らない。「鄭成功」、その父「鄭芝龍」(ていしりゅう)、共に歴史上の傑物であるし、父子間の愛憎劇は― 方や清朝、方や明朝をバックとした ー壮大でドラマチックなものだが・・。
鄭成功が最初に制圧したプロビンシア城は現在、赤嵌楼(せきかんろう)と言われ国定古跡となっている。
私たちは夕方、その赤嵌楼まで足を延ばした。安平古堡からは4キロの距離にある。
楼に着くと、その入り口に、「今宵、庭園でジブリ音楽の夕べ♬」との台湾語の看板があるではないか。
日中の猛暑も収まり、快い涼風の中、赤嵌楼には三々五々、夕涼みがてらという感じで老若男女が集まってきた。
私たちも椅子に座り、演奏を聴くことにした。温かな拍手の中、若い音楽家たちが登場した。そして、風の谷のナウシカ♪となりのトトロ♪・・懐かしい曲を次々と奏でてくれた。聴衆はおそらくは地元の人たち。中に観光客らしき人も混じる。
ジブリ好きなヤンをその場に残し、私は一人で赤嵌楼にのぼった。
楼内には赤嵌楼の歴史を伝える資料が展示されていた。西洋の城は度重なる戦闘と大地震で全壊し、中国風の楼閣として再建された。西洋の面影は安平古堡同様、城の外郭に残るだけである。私はひと通り展示物をカメラに収めたあと、窓から庭園を見下ろした。灯りのともされた緑の庭園が美しかった。
かすかに天空の城ラピュタのテーマソングが聞こえてきた。
かつて、台湾はフォルモサ ーポルトガル語で〝美しい島〟ーと呼ばれる島だった。恵まれた気候風土と豊穣な大地。それゆえ外国からの侵略が繰り返された。ここ台南も、台北も台中もどれだけ多くの血が流れたか分からない。そんな歴史の辛酸を舐めながら、台湾の人々は外国人に温かい。
願わくば、この美しい島がもう他国の干渉を受けることなく、平和な道を歩んで行けますように。
古城の窓から庭園を見下ろし、ジブリの音楽を聴きながら、心からそう願わずにはいられなかった。
コメントをありがとうございます。
そうでしたか・・。20年前と言えば、まだ台北ものどかな頃だったでしょうか。現在はすっかり近代都市という感じ。九份にも行かれたでしょうか?
故宮博物館・・私も参りました。とても大きくて、駆け足ではもったいない・・半日位ゆっくり見て歩きたい場所でした。
駆け足ながら台北、台中、台南と目的を定めて観たいものを追いかけてさすがです!
私は20年近く前に夫の姉妹と本多さん人見さんを誘って台北観光と食べ歩きに行っただけです。タイヤル族の村を訪れ、故宮博物院で精巧な翡翠の白菜と肉牛の国宝彫り物に感銘を受けたのが印象的でした!