『サラ・スペックス、知られざる少女。』top page

サラのイメージ

サラのイメージ

【あらすじ】

 サラ・スペックスは1617年、長崎(平戸)で生まれた。
 父は初代オランダ商館長ヤックス・スペックス。母は平戸の女性であった。
 父と共に父の赴任地オランダ領バタヴィア(現インドネシア・ジャカルタ)に渡ったのは4歳の時である。父はバタヴィアでは東インド総督に次ぐ地位に昇格した。

 サラが12歳の時(父が社用でオランダに帰国中のため、彼女を養育したのが総督クーンであったが)、城の近衛兵(15歳)と恋愛事件を起こす。これが発覚するや、総督クーンの逆鱗に触れ、少年は斬首、サラは鞭打ち刑を受ける。ところがその後、総督クーンは急死。〝総督はサラに呪い殺された〟との噂が立った。

 サラ、15歳の時、20歳年上の高徳の牧師ジョルジウス・カンディディウスと結婚し、再び噂の的となる。サラはいわば、バタヴィア社会のスキャンダルの中心であった。
 彼女はその後、夫の宣教に伴いオランダ領台湾へと渡る。夫の仕事を支え、台湾先住民部落(現(台南)新港市)で生活するが、若くしてその生涯を閉じた。熱病かと思われる。

その短い生涯を物語にしたのが当小説である。

 サラに関する史料はほとんどない。バタヴィア政庁を巻き込んだ醜聞の主であること、スペックス家にとっては一族の恥辱であること、それらの理由から処分された可能性もある。ただ、歴史に残る、父ヤックス・スペックス、夫カンディディウス牧師の事蹟を通して、間接的にその人物像を想像するしかない。
 父は江戸初期に貿易国としては後発組だったオランダ商館の地位を築いた立役者。その後東インド総督となり、オランダ帰国後はオランダ東インド会社の最高位に登りつめた人物。若き画家レンブラントと親交を持ち、レンブラント絵画のコレクターともなった。
 夫は現在「台湾宣教の父」と呼ばれる人物である。

 それぞれの章が、カンディディウス牧師、総督クーンの側近フリードリヒ・ブルーフ、恋人のピーテル、父ヤックス、等々様々な視点から語られる。それらを通して、サラの面影がくっきりと浮き彫りになるよう努めた。

 平戸の淡雪 サラ・スペックス。
 四百年前の彼女の紡いだ細い糸が、歴史の底に隠れながら、現代にまで連綿とつながっている。
 それを描こうとした小説である。                     

  〇人物紹介 

サイトポリシー

次の記事

蝦夷キリシタン